1992年10月 芸術祭参加山田奈々子DG公演「花炎」・ABCホール
1994年11月 芸術文化振興基金助成事業「火炎」・芸術劇場
『花炎』抄
“花炎”ふとひらめいた言葉だった。そのイメージも文字も、ひらひらとゆらめくような柔らかさがある。タイトルに決めた。
花のように華麗に、炎のように一途に燃えて生きた女たち、イサドラ・ダンカン、カミーユ・クローデル、上村松園、平塚らいてう、松井須磨子などなど。それぞれに個性が強く、豊かな才能を開花させていく過程には、その生き方にも、いわゆる世間の賛否両論の嵐を強く受けた。痛々しいまでのひたむきな生涯に心を打たれる。
今回の舞台は、須磨子の生涯をたどるというより、女優として役にのめり込んでいった彼女の舞台と実人生とを表裏においたり、だぶらせたりしながら進行する構成の中から、ひとりの女を表現してみたいと思う。
須磨子には、今まで悲劇のヒロインといったイメージを持っていたが、色々と資料をみていくと、またちがった面が浮かび上がってきた。舞台への情熱はすさまじく、大変な努力家だった。性格もはげしくたくましく、かと思うと喜劇的というか、あっけらかんとしたところもあるのだ。学者肌の抱月にとって、舞台への夢を託す女優であると同時に、人目など意に介さない自由奔放な彼女が新鮮で、次第に可愛くてたまらない存在になっていく。抱月に出逢ったことによって、女優としても女としても、その生涯を思うまま生ききれた須磨子は幸せである。
明治と昭和の間(はざま)、束の間の大正という時代には魅力的な女たちが闊歩している。