舞踊詩 春琴夢幻 初演の舞台から—
愛と芸術に生きた二人だけの全き世界。そんな二人をも死が分かち、今はひっそりと建つ二つの墓に、人の世の無常を思います。奇しくも銀座は亡き父母の故郷。両親の愛が芽生えたこの地に、舞台の華を大きく咲かせたいと念じています。
芸の不思議に魅せられて
すさまじい悲鳴が、スタジオの空気を切り裂いた。昭和五十六年博品館劇場で上演する、舞踊詩『春琴夢幻』のリハーサルの時のことだった。スタジオに入っていらした幸田さんに、演出の原幸子さんが言った「ちょうどいいタイミング、春琴が熱湯をかけられた瞬間の悲鳴をあげて」間髪をいれず響いた叫び声の迫力。瞬時に体験し、表現出来るプロのすごさ。私は今もその時の驚きと感動を忘れる事が出来ない。
幸田さんは、朗読の公演前は入魂の練習を繰り返されると伺っている。この時も作品全体を把握し、内部で発酵していらしたからこその表現と思うが、決して裏の努力や苦しみを見せず、大変なことを何気なくやってしまう素晴らしさを見たと思った。
幸田弘子さんの朗読の会には、私はひとりで出掛け静かに劇場の椅子に腰を下ろす。
その舞台には、装置も衣裳も共演者も必要としない。彼女から言葉が溢れ出すと、私たちはまるで魔法の絨毯に乗ったように明治へ平安へ、時には古いヨーロッパへと移行する。そして、おませな少女や元気な少年、宿命を背負った男や女が生き生きと現れる。街の匂いやさざめき、師走の冷たい風、うららかな春の日に散り掛かる櫻の花びらの感触までが五感に響いてくる。
言葉が立体となって立ち上がってくる芸の力、その不思議に魅せられ、劇場の椅子から抜け出して時空を超えた世界にいる私を発見する。
こま鼠のように忙しく、目の前の輪をくるくると回し続けているような現在(いま)の日常から、ふと立ち止まって思考する時間をもらう。
駅へむかう帰り道、紅葉した葉の散る石だたみをひとり歩きながら思う。人生は哀しい、でも、人間はいつの世もけなげにたくましく生きていると。
止まることなく、常に新しい道を求めて歩き続けている幸田弘子さんの姿勢から、いつも仕事への意欲と勇気を頂いている。
註:舞踊詩『春琴夢幻』(原幸子台本演出・山田奈々子振付主演)は、プロローグとエピローグに幸田弘子(春琴)会田綱雄(佐助)の朗読を配し、文字通り舞踊詩として成果を上げた舞踊作品である。
(幸田弘子の会 プログラム)